愛鶏園の創業90周年祝う 『100年企業』へ誓いも新たに

創業者の齋藤虎松氏が「この栄養豊かなたまごを、いつでも誰でも安心して食べられるようにしたい」と、大正14年にわずか10羽の母鶏を飼うことから始め、今年で創業90周年を迎えた㈱愛鶏園(齋藤大天社長―本社・横浜市神奈川区菅田町2954)は、5月29日に横浜市の新横浜プリンスホテルで、取引先関係者らを招いて90周年記念式典を開催した。
同社は『養鶏とは働くこと辛抱すること鶏を愛することと見つけたり』との社訓の下、共同経営の種鶏場・孵化場と委託指定配合飼料生産、自社のひな育すう・育成農場、成鶏農場、さらには鶏卵GPセンターまで、一貫した“納得のいくたまごづくり”を追求することで養鶏のパイオニアとして業界をけん引し、現在では埼玉県と茨城県で約150万羽を飼養している。
勇壮な和太鼓の演奏で幕を開け、冒頭あいさつした齋藤社長は「愛鶏園の創業は大正14年、今年、無事90周年を迎えることができた。創業者の齋藤虎松、満子。第2世代の齋藤富士雄、和子、齋藤太洋、トミ子、齋藤地平、暁子。そして第3世代の私たち。本当に多くの方々に助けられ、支えられてきた。感謝申し上げる。本日は90周年の感謝とお礼の意を込めるとともに、これからの愛鶏園が100年企業に向かって何をすべきか、また、皆さんから何を求められているかについて、温かいメッセージなどもいただきながら皆様と気持ちを共有し、継承していけるような会にしたいと思っている。限られた時間のささやかな宴であるが、最後までくつろいで、楽しんでいただきたい」と述べた。
来賓として祝辞を述べた協同飼料㈱の酒井透会長は、同社の監査役を長く務めた虎松氏の人柄やエピソードを紹介し、「虎松さんは、ニワトリ(家畜)が好む飼料を作ることが大事であるとし、そして経済動物であるから、能力を最大限に発揮させるように飼育技術を追求しなければならないと教えられた。このような虎松さんの姿勢は現在も愛鶏園に引き継がれている」とした。
さらに、第2世代の兄弟3人がそれぞれ社長として経営していた農場を、平成12年に現在の愛鶏園に統合し、平成18年には第3世代の息子たちに経営のすべてを任せ、第2世代はすっぱり引退した際のエピソードにも触れ、「愛鶏園は節目、節目で、普通では考えられないようなことを決断していく会社である。この会社の特長は、単純に設備や資本に頼るのではなく、鶏の性能を100%発揮させる技術を追求した技術養鶏と、社長以下が統制を取って、決めたことをきちんと行なうことで、この2つをとっても、確実に100年企業に向かって成長していくと確信している」などと述べた。
乾杯の音頭を取ったJA全農たまご㈱の福田雅之社長は「愛鶏園の歴史は、日本の養鶏界の歴史そのもので、今後も間違いなく先頭に立って業界を引っ張っていただけるものと思っている」と称え、なごやかに歓談した。
この間、民族歌舞団『荒馬座』による民舞の披露や、愛鶏園のスタッフ(大天社長、取締役の拓、快太、航平、和平の各氏や、管理本部、品質管理部、生産本部、鶏卵本部の幹部)の紹介に加え、種鶏場・孵化場を担う神奈川県養鶏経済農業協同組合連合会の角田克己会長と、コンサルタントHandrewIncのアンディ・ハンセン社長が愛鶏園のパートナーとしてスピーチし、『90周年』を祝福した。
愛鶏園からのメッセージ映像では、これまでの養鶏の歩みや、地域とともに鶏ふんを利用した地域循環型農業に取り組んでいることを紹介した。
この中で齋藤社長は「企業は人なりと言います。働くということは、単に生活の糧を得るとか、稼いで儲けるということだけでなく、家族や自身の夢と幸せを追求しながら共に成長していくことだと思います。皆が共通の目的を理解・共有し、それを実現するためにビジョンを立て、必ず達成するという気概をもって実践する。1人で100歩進むのではなく、100人が1歩ずつ確実に成長していく、そんな会社にしたいと思っています。
私たちは約束します。ニワトリからの贈り物である栄養豊かなたまごを、生産者としての誇りと責任を持って、1人でも多くのお客様に安心を添えて、真心を込めておくります。
感謝の心と、共存共栄の精神を持って、食の和、人の和、地域の和を広げて進みながら100年企業を目指したいと思います」と力強く述べた。
第2世代を代表して感慨ひとしおの齋藤富士雄顧問は「皆様をはじめ数多くの方々の協力がなくては、とてもここまで来られませんでした。特に愛鶏園のピンチの時にいただいた皆様からの厚意は決して忘れることができませんし、忘れてはならないことと思っています。私どもがいただいた皆様からの教えやご厚意を、若い者にも引き続きお願いいたします」と謝辞を述べた。
【取引先関係者らを招いて開催された90周年記念式典】

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