創立70周年で式典と祝賀会 豊橋市養鶏農協

冨田眞之組合長

豊橋市養鶏農業協同組合(冨田眞之代表理事組合長―愛知県豊橋市つつじヶ丘3-4-1)は、今年で創立70周年を迎えたことから、11月15日に豊橋市のホテルアソシア豊橋で組合員や取引先、行政関係者ら約100人を招いて記念式典と祝賀会を開いた。

記念式典は青木哲理事の開会の言葉で始まり、あいさつした冨田眞之組合長は「今をさかのぼること70年前、戦後間もない昭和23年に当組合は創立された。この70年間は〝山あり谷あり〟ばかりでなく、時には〝谷あり谷あり〟と谷ばかりの激動の70年間だったと聞いている。そのような厳しい時代を経ながらも、今日まで組合として存続できるのも、本日ご臨席いただいている皆様の多大なる助力のおかげだと考えている。改めてお礼を申し上げる。歴代の組合長をはじめとした諸先輩の長きにわたるご尽力の数々にも、改めて尊敬の念を伝える」とし、諸先輩のこれまでの血と汗と涙に深く感謝した。

地産地消の消費拡大活動に積極的に取り組む豊橋市養鶏農協の創立70周年

そのうえで「私たち組合員は、これからも地元の皆様、とりわけ地域の未来を担う子どもたちに、とびっきり新鮮で安全なおいしい卵を毎日お届けできるよう、力を合わせて頑張っていく。皆様には引き続き、温かいご指導を賜るようお願い申し上げる」などと述べた。

司会を務めた髙井正和監事が豊橋市養鶏農協の60~70年間のあらましを紹介。現在の組合員は準組合員を合わせて32人で、飼養羽数は約180万羽。鶏卵生産者経営安定対策事業では加入組合員の支援を続けている。豊橋まつりの農産物博覧会や、地元消費者を対象とした料理教室、(一社)愛知県養鶏協会の一員として「たまニコ愛知大会」など、地産地消の消費拡大活動に積極的に参加している。

来賓として出席した豊橋市の佐原光一市長、根本幸典衆院議員(代読・田中秘書)、鈴木孝昌県議会議員(代読・大野庄一後援会事務局長)、農林水産省東海農政局畜産課の井上善行課長、愛知県東三河農林水産事務所の中根俊樹所長が祝辞を述べた。

佐原市長は「全国的に養鶏農家が減少傾向にある中、有数の鶏卵産地である豊橋市は、平成21年2月と23年1月に発生した鳥インフルエンザなどの大きな困難を乗り越え、高い産出額を維持している。これも養鶏農家をはじめ、関係者の並々ならぬ努力の賜物で、豊橋市養鶏農協が中心的な役割を果たしてきたことに深く敬意を表する。平成27年6月に豊橋市養鶏農協と県、市が中心となった畜産クラスター協議会を設立し、現在は国のクラスター事業を活用して、鶏舎の新設や最新鋭の洗卵選別機などの導入を支援している。整備後の1日当たりの生産量は、現在の約19万卵から約22万卵に増加する見込みである」とし、鈴木県議会議員は「組合員相互に情報交換や結束を高めて、経営の効率化も含めて将来に希望の持てる組合として進展することを期待する」などとした。

来賓の紹介に次いで、各方面から寄せられた祝電が披露され、功労者表彰として組合の発展に尽力した冨田義弘顧問(4代目組合長)、杉浦巧倫理事(5代目組合長)、内田義宣理事に感謝状と記念品が贈られた。

冨田組合長は、冨田顧問に「実の父親に感謝状を贈る機会が訪れるとは夢にも思わなかった。普段はなかなか感謝の気持ちを伝えることはないが、本日は組合長としてだけでなく、息子として感謝の気持ちを伝えたい。お父さん、いつもありがとう」と伝えたほか、杉浦理事には「平成に入ってから組合の運営の中心として活躍し、様々な視点から物事をとらえて私たちに刺激を与えていただいた」。内田理事には「様々なイベントにいつも率先して参加していただいた。いつも穏やかにニコニコされている姿に心を打たれた」と感謝の言葉を贈った。功労者を代表して冨田顧問が「これからも健康に心がけ、1日も長く手助けできるように頑張っていきたい」などと謝辞を述べた。

別室での祝賀会では、杉浦正和豊橋市議会議員、(一社)日本養鶏協会の齋藤利明会長(知多養鶏農協組合長)、JAあいち経済連畜産センターの加藤雅己畜産部長が祝辞を述べた。杉浦市議会議員は「これから大きな激動の時代に入っていくが、組合を中心に豊橋市の養鶏業がさらに発展していくことを心から祈念する」とし、齋藤会長は「豊橋が養鶏の発祥の地だと小さい頃から思っていたし、養鶏王国も豊橋からではないか。市で組合を支えているのは豊橋しかない」などと述べた。

六ツ美養鶏加工協同組合の宮本一彦顧問理事の発声で乾杯し、なごやかに歓談した。この間、愛知県立豊丘高校の和太鼓部による祝い太鼓の演奏が創立70周年に花を添えた。

東京での本会議後に駆け付けた根本幸典衆院議員は「これまでの70年から80年、90年、100年に向けて、多くの皆さんに卵を食べていただけるように頑張ってほしい」と激励した。㈱鶏鳴新聞社の清水利彦編集長の中締めと、高橋英嘉副組合長の閉会のあいさつでお開きとなった。