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アマタケ『多賀城工場』竣工 生産能力は年間約9000トン 2016.08.15発行 潟Aマタケ(甘竹秀企社長―岩手本社・岩手県大船渡市、東京本社・東京都新宿区)は、建設を進めていた多賀城工場(宮城県多賀城市八幡字一本柳3−4)がこのほど完成し、7月5日に竣工式を行なった。 アマタケは、平成23年の東日本大震災で岩手本社と本社工場、高田工場、滝の里工場などの全工場が被災。同年7月に本社工場を再稼働させたが、加熱加工品を製造していた陸前高田市の2工場は閉鎖せざるを得なかった。約3年前に宮城県と多賀城市から、東日本大震災で被災した企業を支援する津波復興拠点≠ニして整備された「さんみらい多賀城・復興団地」への誘致を受け、多賀城工場の建設を決めた。 多賀城工場は敷地面積1万11平方メートル(約3030坪)、延べ床面積4919平方メートル(約1490坪)で一部2階建て。機能性、安全性、環境、経済性をコンセプトに設計されている。社員数46人のうち16人は大船渡市から多賀城市に転入し、残り30人は多賀城市から採用した。食品加工部、商品開発部、品質管理部、エンジニアリングのスタッフがいる。 サラダチキンの製造ラインは3本あり、生産能力は日産3万パック、年間3000万パック。ロースト・フライヤーの2ラインでは南部どりの鶏だんご、岩手がもの鴨だんご、鴨ハンバーグ、チキンナゲット、スナックチキン、照り焼きチキンなど多くの加工品を製造し、生産能力は日産8〜10トン。工場内のマルチスペースでは、岩手がもの鍋つゆ、チキンナゲットのバーベキューソースなどの液体ソース類や、クリスマス用の丸どりローストチキン、レバーの甘露煮などを製造。少量生産にも対応できるため、チルド総菜の製造も視野に入れており、すべてを合わせた生産能力は年間約9000トンになる。 竣工に当たり執り行なった神事に次いで、謝辞に立った甘竹秀雄相談役は「東日本大震災で大船渡市と陸前高田市にあった6工場すべてが被災した。本社工場、配送部門、レンダリングプラントは稼働させたが、パックセンターと、陸前高田の加熱加工品2工場の回復までは手が届かなかった。 3年ほど前に宮城県と多賀城市から企業誘致の話があり、社長以下幹部で慎重に相談した結果、ぜひ多賀城市に加熱加工品工場を建設し、もう一度大きな希望を持って会社を復興させたいという願いから進出を決めた。 多賀城市に進出した理由は3つある。1つ目は東京を中心とする関東のマーケットに4時間で行けること。午前中に製造した商品を夕方には関東のスーパーに並べられる利点がある。 2つ目は、わが社の商品を輸出する時代が必ず来ること。現在は7500億円の農畜産物・食品が輸出されており、やがて8000億円、1兆円へと伸びるが、産業機械に比べて10倍の効果がある金額である。わが社も仙台港からサラダチキンをはじめとした商品を東南アジアに輸出したいと願っている。 3つ目は、多賀城が西の太宰府とともに歴史的に発展した大きな都市であること。多賀城に進出することによって、必ずアマタケの将来が大きく開けるだろうと認識している。 宮城県には牛タン、笹かまぼこという動物性たんぱく質の優れた商品があるが、アマタケのサラダチキンやチキンナゲット、鴨ハンバーグがそれらに追いつくように、社長以下が努力してくれると確信している」などと述べた。 稼働式では甘竹秀企社長と甘竹相談役がスイッチを押し、サラダチキンの製造ラインを稼働させた。 ◇ 仙台市青葉区の江陽グランドホテルで開いた竣工祝賀会には、工事関係者やアマタケ共栄会の会員ら約240人が出席。 東日本大震災の犠牲者に黙とうをささげ、村上守弘専務取締役の開会の辞に次いであいさつした甘竹社長は「あの震災から5年が経ったが、震災直後に本社屋と本社工場を見た衝撃は忘れることができない。事業を継続するのは難しいのでは、というのが最初の印象であった。そうした中から本日、ここまで会社を復興させることができたことは夢のようである。私たちはすべての設備と商品在庫、農場で飼育していた南部どりを失い、ゼロよりもマイナスからのスタートだった。今、私なりに振り返ると、本日を迎えることができたことにはいくつかの理由があるが、私は2つお話ししたい。 1つ目のポイントは、1にも2にもアマタケの役員、従業員、スタッフのがんばりである。本社工場は大変な被害を受けたが、わずか3か月近くで再稼働できた。今思っても信じられないスピードだが、このスピーディーな対応があったからこそ、商品供給をそれほど止めることなく、お客様との関係を再構築できたと思っている。 販売面では、原発事故の風評被害で最初の2年間は商品が全く売れなかったが、わが社の営業マン一人ひとりが商品の安全性をお客様に伝え、消費者の不安や心配を少しずつ払しょくしていく積み上げが2年間続いた。すべての社員のがんばりで今日のアマタケがあり、良いメンバーに恵まれたと思っている。 2つ目のポイントは、すべてを失ったため、会社を大きく変える機会を得たことである。会社をゼロから積み直していこう、との思いでこの5年間を乗り越えてきた。これから訪れる社会の変化、少子高齢化によるマーケットの変化、取引先の小売りやスーパーマーケットの変化を見越して我々の活動がどうあるべきかをゼロから考え、会社の改革に取り組んできた。 特に加工品については毎年多岐にわたる改良を行なってきた効果もあり、この5年間で加工品の売り上げは2倍以上に増えている。アマタケが成長していくうえで、加工品の伸びしろは非常に大きなキーポイントである。そうした中で今回、すばらしい多賀城工場を手に入れたため、最大限活用しながら新しい成長の道を歩んでいきたい。 これまでは岩手県内で事業を展開してきたが、創業53年目で初めて宮城県に進出するため、今までと変わらぬよう地元の方々に愛される企業でありたい」などと述べた。 多数の来賓を代表して菊地健次郎多賀城市長(代読・鈴木明広副市長)、村井嘉浩宮城県知事(代読・高橋裕喜経済商工観光部次長)、アマタケ共栄会の藤嶋照夫会長(伊藤忠飼料且ミ長)が祝辞を述べた。菊地市長は「多賀城市を挙げて心より歓迎し、引き続き全力で支援する」とし、村井知事は「地域に根ざした企業として、末永く貢献されることを期待している」とした。藤嶋会長は「アマタケ共栄会のメンバーも、それ以外の人も、甘竹社長をはじめ皆さんを盛り立てて、新創業のアマタケを作っていただけるように応援していきたい」と述べた。 祝電披露の後、甘竹信吾常務取締役が多賀城工場の概要を説明した。多賀城工場の設計・施工に尽力した各社に甘竹社長から感謝状が贈呈され、代表して鞄立建設設計の橘滋夫社長が謝辞を述べた。また、アマタケ共栄会からの寄贈品が藤嶋会長から甘竹社長に贈られた。 来賓らによる鏡開きの後、板橋恵一多賀城市議会議長の発声で乾杯した。この間、東日本大震災からの復旧・復興に向けたアマタケの5年間の軌跡が紹介され、小田島商事鰍フ小田島隆社長による三本締めの後、鈴木和明常務取締役の閉会の辞で結んだ。
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