東京食鳥組合が創立60周年

記念式典で節目を祝う

会員ら約70人は和気あいあいと懇親しながら歴史を振り返り、新しい時代への思いを共有した

東京都食鳥肉販売業生活衛生同業組合(鈴木章夫理事長)は2月3日、荒川区東日暮里のホテルラングウッドで創立60周年記念式典を催し、会員や関係者ら約70人が集まって節目の年を祝った。

江村光良副理事長(㈲宮川商店)の司会で進め、戸田勝彦副理事長(宮川食鳥鶏卵㈱)の開会の辞に次いで、あいさつした鈴木理事長(㈱鳥藤)は、多数の出席者に謝意を表したうえで、食鳥肉販売業の歩みと現在の課題について、要旨別掲の通り述べた。

組合の創立60周年を記念し、会員企業に25年以上勤務している14人が、永年勤続優良従業員表彰を受けた。

来賓の(一社)日本食鳥協会の佐藤実会長、(公財)東京都生活衛生営業指導センターの山縣正理事長、(一社)東京都食品衛生協会の武田秀敏常務理事、㈱日本政策金融公庫国民生活事業東京中央支店の坂本浩之事業統轄が祝辞を述べた。

この中で佐藤氏は、貿易自由化の進展やHACCP導入の義務化など、食鳥産業を取り巻く諸課題に触れたうえで、来年の東京オリンピック・パラリンピックなどに向けた国産チキンの魅力の国際的な普及や、鶏肉消費の一層の拡大について「貴組合員各位の責務であり、かつ大きな期待を寄せているところである」とし、国産チキンシンボルマークの積極的な活用などを訴えたほか、東京食鳥組合のこれまでの歩みについて「昭和33年の設立以来60年の長きにわたり、国産食鳥業界の発展と東京都民の生活衛生向上に、多大なる貢献をされている。この間、鈴木理事長をはじめ、歴代の役員、組合員各位の日頃からのご尽力に心から敬意を表する」と称え、「大きな節目を契機に、組合員様、企業がさらに発展されるとともに、組合員各位のご健勝を祈念申し上げる」と述べた。

山縣氏は、大相撲の呼び出しの節回しで、東京食鳥組合と鈴木理事長を朗々と呼び上げ、「大きな声を出すことは、非常に健康に良いため、ぜひご唱和いただきたい」として会場の全員を巻き込んで「フレー、フレー、食鳥肉!」と出席者を力強く激励。

多数の来賓が紹介された後、石坂直明副理事長(㈲信濃屋)が閉会の辞で「これからも70周年、80周年、また100周年と永く続けていきたいため、会員の努力はもちろんのこと、関係各位のご協力も引き続きよろしくお願いする」と述べた。

出席者には、60年間の歩みや、鈴木理事長のあいさつ、小池百合子東京都知事、全国食鳥肉販売業生活衛生同業組合連合会(全鳥連)の新井眞一会長、食鳥協の佐藤会長らの祝辞などを収録した記念誌が配布された。

祝賀会と、新年賀詞交歓会も

引き続き開いた祝賀会は、新年賀詞交歓会を兼ねて催し、青鹿孝元常務理事(合羽橋栃木屋)の司会でにぎにぎしく進行。

加藤和宣副理事長(山田屋加藤商店)が「平成も最後。4月30日を過ぎると新しい時代を迎える。新時代に向けて、食鳥組合全体を盛り上げていかなければならない。そのためには、若い力、後継者の育成が何より大切であり、我々も一生懸命頑張っていきたい。それが簡単な時代とはなっていないが、それでも歯を食いしばって、地元のために、商店街のためにとの思いを持って頑張っている店舗もある。様々な面で厳しい環境にあるが、我々はやはり人を信じ合い、助け合い、そして組合を育てていかなければならないとの思いを持っている。ご出席の皆様にも、信という字をぜひ胸に刻んで、引き続き応援してほしい」と述べた。

岩崎政吉常務理事(鳥政商店)の発声で乾杯。この間、同組合の青年部「わかどり会」のメンバーによる抽選大会などの余興で盛り上がり、終始なごやかに歓談。磯田聖規常務理事(㈱鳥新)があいさつし、三本締めでお開きとなった。

鈴木理事長あいさつ

鈴木章夫理事長

鶏肉の業界というものは歴史が非常に古く、大陸を渡るような航海船が行き来した時代まで遡ると、鶏は何でも食べ、卵も産むことから、船には鶏が必ず載せられ、世界中に広まったと言われる。

日本でも江戸時代には、食鳥としての野鳥が日本橋の魚河岸などにたくさん入荷し売られていたが、多くの農家が卵を採るために鶏を飼うようになり、東京の郊外でも皆飼っていた。

産地はどの街道筋にもあり、出てくる卵を売らなければならないということで、大正の初めから鶏卵や鶏肉を商う人が増えてきて、昔からのトリ屋は中山道や日光街道から千住や淀橋、千葉は房総半島や下総から両国、東海道からは品川などを経由して東京に荷物を納めていた。当時の昔からあった地鶏は牛肉より高価で、1日に3羽か4羽売れれば商売になった。

昭和30年代前半までは、皆そのようにトリ屋でつぶした鶏肉を主に売っていて、むね肉が上肉、もも肉が中肉。もも肉は下半分は固いので切って、上ももだけをそのまま販売するような時代が続いていた。

その後、米国などからブロイラーが入ってきて、朝鮮戦争で需要が一気に増えたことから、安価な鶏肉と、それを扱う店が増えた。東京食鳥組合も、最も多い時は約800の組合員がいた。ただ、その後、スーパーが増えて都心にも入ってくるようになると、商店街の店舗の経営環境は厳しくなり、また地域をビル街などに再開発するための区画整理で土地を売却する店もあって、現在、街なかのトリ屋さん、魚屋さん、八百屋さんは減少している。

現在は、鶏肉の消費量がどんどん増え、先行きは明るい。豚肉を抜いて、鶏肉のシェアは今後、圧倒的に高くなっていく。特に業務向けや、デリカ、総菜などの需要は増えている。デリカショップの会社などは組合になかなか加入しないため、そのような店舗の参加や組合の改革が、どの組合でも難しい課題になっているが、皆が手を携えて、鶏肉を使った商品を一生懸命売っていきたい。販売の努力さえできれば、拡大していく業界であることは間違いないため、ぜひ頑張っていただきたい。