創業90周年で記念祝賀会 八千代ポートリーグループ

人間力と商品・サービスの品質高め、信頼度ナンバーワンの企業を目指す

創業90周年記念祝賀会には来賓や取引先関係者、グループ従業員ら約400人が出席した

㈱八千代ポートリー(笠原政利社長―本社・横浜市港南区港南3-5-21)は、昭和4年(1929年)に現在の本社所在地で養鶏を始めて、今年で90周年を迎えたことから、7月28日に横浜市西区の横浜ロイヤルパークホテルで「八千代ポートリーグループ創業90周年記念祝賀会」を開き、来賓や取引先関係者、グループ従業員ら約400人が出席した。

FMヨコハマDJの栗原治久氏と村上恵さんが司会を務め、主催者を代表してあいさつした笠原政利社長は、多数の出席者と祝賀会・ゴルフコンペの準備に奔走した90周年委員会のメンバーや、運営などでアドバイスを受けた㈱オオゼキ、記念品を作成した㈲マーロウ、会場や会社に届いた多くのお花や祝電に謝意を表し、「皆様のご支援とご協力のおかげで本日を迎えることができた。改めてお礼を申し上げる」と頭を下げた。

祝賀会を開いた経緯については「昭和4年に私の祖父、笠原利八が材木商や捺染(なっせん)業のさながら、養鶏を始めたのが当社グループの創業になる。その家業が現在はヒナを育てるユウファーム、卵を生産する横浜ファーム、卵の販売を担う八千代ポートリー、肥料の販売を手がける南総有機産業とグリーンアースの5つの事業会社を持ち、従業員300人を超えるグループになった。

八千代ポートリーの社名は、創業者である笠原利八の〝八〟と、その妻〝千代〟の名前が由来となっている。創業当時を知る人はもういないが、2代目の父、笠原節夫と歩みを共にしてきた従業員は数人残っている。事業が拡大するにつれて従業員も増えたが、創業者笠原利八、2代目笠原節夫の思いや考え方など、事業を行なっていくうえで一番大切なものが、徐々に薄くなっていると近年感じるようになった。

卵の販売を始めた昭和50年頃は部門など存在せず、従業員とは寝食を共にするくらい身近であったため、笠原節夫の思いや考え方やなどは年中嫌でも聞かされていたと思うし、どのような人が会社に出入りしているかなどは全員が把握していた時代だったと思う。

現在は事業別、部門別に役割責任が明確になった反面、当社グループが事業を行なううえで、どのような企業と、どのような人々と仕事を共にしているのか分かりにくくなってきたため、本日は来賓の方々をはじめ、事業会社と取引のある企業の方々、事業会社が所属する関係団体の代表の方々、本社がある横浜市で交流させていただいている関係団体や企業の方々にご出席いただき、当社グループがどのような会社で、どのような人が仕事に従事しているか。当社グループの従業員には日頃からどのような人と事業活動を通じてお付き合いしているかを知ってほしいという思いから、祝賀会を開きたいと思った」と説明した。

今後の事業方針については「先日、父から見た祖父の思いや考え方、父自身の事業に対する思いや考え方を、丸一日時間を作って話を聞く機会があった。兄弟3人で聞いたが、初めて聞くこともあり、とても新鮮で良かったと思う。若い従業員にも直接聞いてほしい話がたくさんあったため、この時の話を『創業の精神』という形にまとめた。従業員の行動指針となる『経営理念』も制定し、7月から毎日、唱和を始めた。唱和を繰り返すことで、創業の思いや考え方を一人ひとりが胸に刻み、引き継ぎ、それぞれの業務の中で生かしてほしいと思う。

『企業は人なり』とよく言われる。私たちは生き物を相手にし、豊かな自然環境の中で、健康な食文化を支える会社である。これからは商品力や価格だけでは決して競争に勝てない。従業員一人ひとりの人間力と商品・サービスの品質が良くなければ、お客様の信頼を勝ち取ることはできないと思っている。

私たちは創業者笠原利八、2代目笠原節夫の思いや考え方を胸に刻み、行動することで、卵なら『八千代だ』、ヒナなら『ユウファームだ』、鶏卵の生産なら『横浜ファームだ』、肥料なら『南総有機産業だ、グリーンアースだ』とお客様から言っていただける信頼度ナンバーワンの企業を目指して、志は高く、頭は低く、評価は他人がすることを忘れずに事業にまい進したいと思う。

昨年8月に買収した千葉県市原市の高津農場への投資も今後進める。私が買いたいと言って買った。今でも父は何も言わず、じっと我慢してくれている。本日ご出席の皆様から様々なアドバイスをいただき、これからの時代に合った良い農場にしたいと思う」などと述べた。

(詳しくは本紙をお読みください)