さんわグループが創業120周年 新社屋落成

「進化する老舗」へ企業革新

落成した新本社

古川柳三名誉会長(前列)、グループ各社の古川隆社長(後列左)、古川翔大社長(同中央)、古川隆二社長(同右)

㈱さんわコーポレーション(古川翔大社長―本社・愛知県大治町西條附田106-3)を中心とする『さんわグループ』(古川隆代表)は、今年で創業120周年を迎え、新本社を建設して11月28日に落成した。

さんわグループの120周年記念誌によると、創業者の伊藤和四五郎氏が1900(明治33)年に飼料商の「伊藤和四五郎商店」を創業したのが始まり。

黎明期(創業~1954年)には配合飼料販売と、三和農場での名古屋コーチンをはじめとする8万羽規模の養鶏業を営み、当時の〝東洋一〟と称される規模と技術力を誇った。

興隆期となる55~70年には、伊藤和四五郎氏の長女・千代さんと古川紋次郎氏が結婚して社業を継ぎ、その長男の古川柳三氏が55年にさんわコーポレーションの前身である三和畜産㈱を設立。58年には〝若どり〟という新しい言葉を考案し、ラジオとテレビCMをスタート。やわらかくておいしい『さんわの鶏肉』が広く認知されるようになった。さらに柳三氏はアメリカやヨーロッパの養鶏産業を視察・研究し、日本にブロイラーインテグレーションを導入した。

隆盛期となる71~90年は日本の高度経済成長期でもあり、スーパー内に直営小売店舗を出店したほか、タイに業界初の合弁会社を設立し、鶏肉輸入を開始してスーパーへの卸売販路を開拓。合わせて2次、3次加工を行なう業界初のプロセスセンターも建設し、業務内容を鶏肉の生産・処理から鶏肉の加工へと特化させていった。

75年に社名を㈱若鶏のさんわに変更。86年に直営店舗戦略を本格的に行なうために小売業務を分離し、㈱ゆめみ亭(現㈱オールドリバー)を設立。87年に柳三氏の長男・隆氏が㈱若鶏のさんわ社長、88年に次男・隆二氏がオールドリバー社長に就任した。

転換期となる91~2010年の日本経済は、91年にバブル経済が崩壊し、20世紀末は「失われた10年」と呼ばれ、21世紀に入っても景気回復の足取りは重く、さんわグループは経営方針の大転換を図って95年に㈱さんわコーポレーションに社名変更。これを機に、これまでの大量仕入・大量販売から、「価値」で競える生鮮鶏肉ブランド企業となるべく『鶏三和』などのブランドの確立に努め、03年に隆氏がさんわグループ代表・会長に、社長に隆二氏が就任した。

成熟期となる11~20年は、企業革新を推進する原動力は「人財」との考えから、優れた人財の積極的な採用と育成を強化し、グループの新たなアイデンティティーの確立を目指すとともに、多方面にわたる販売先や出店先に合わせ、独自に考案した付加価値商品や店舗業態の開発を推進。そのノウハウを生かし、17年に台湾に直営店舗(初代総経理に隆氏の次男・翔大氏が就任)を進出させ、20年には翔大氏が㈱さんわコーポレーションの社長に就任した。

現在のグループは、鶏肉の仕入れ・加工・卸・直販事業を行なう㈱さんわコーポレーション(古川翔大社長)、輸入業務の㈱サンワインターナショナル(古川隆社長)、台灣鳥三和有限公司(古川翔大社長)、『鶏三和』をはじめとする鶏肉特化型専門小売店舗を展開する㈱オールドリバー(古川隆二社長)、名古屋コーチン専用農場の㈲中日本ファームズ(古川隆社長)、名古屋コーチン専用の第1次・2次加工業務を担う㈱マルセ(渡辺英次社長)で構成。

さんわグループは「〝お客様が鶏肉を通じて より喜び豊かな生活を実現する〟ためのよい企業づくり」を理念とし、グローバル化とIT化にも対応すべく、新たな経営戦略のもと「進化する老舗」としてさらなる企業革新を進めている。

落成したさんわグループ新本社は、①創業120周年を記念し新たな時代へ躍進するさんわグループのシンボル②従業員にとって働きやすい環境を整えるため、従業員の意見を取り入れた設備や、最新のシステムを導入し、より快適で効率的な働き方を実現するオフィス環境と、さんわグループ会社の研修・教育センターとして活用③取引先対応の環境を充実させ、新商品の展示会やプレゼンテーションの場として活用――などを目的に建設したもの。

同グループでは新型コロナウイルス感染症の拡大などを考慮して、「本来なら記念祝賀会を催すべきところですが、時節柄控えさせていただきました」とし、120周年記念誌を発刊した。